国際歴史論戦研究所 杉原誠四郎会長

最高裁判事の驚くべき稚拙

◆ はじめに:念書の有効性裁判とは

 令和6年7月11日、日本の最高裁は、すでに死亡しているA(以後亡A)なる信者が、世界平和統一家庭連合(以下、家庭連合、旧統一教会)に向けて作成した、本人が納めた献金について「返金や賠償を求めない」、とする念書は「無効」だとの判断を下した。そして家庭連合側が勝訴した二審判決を破棄し、審理を東京高
裁に差し戻した。

 この提訴は、家庭連合の信者であった亡A(長女が任意後見人として訴訟提起し、原審判決後に死亡したため、同人の長女が訴訟上の地位を承継した)が、家庭連合らに対して、亡Aが長年にわたり納めた多額な献金は、違法な勧誘によってなされたものであると主張して、不法行為に基づく損害賠償等を求めたものである。

 亡Aは平成27年11月、本人がそれまでに10年以上にわたって納めた献金について、家庭連合に対し、欺き罔もう、強迫又は公序良俗違反を理由とする、不当利得返還請求や不法行為に基づく損害賠償等を、裁判上及び裁判外において行わないと記載した「念書」を作成し、公証人の認証を受けた。

 その後、亡Aは平成28年5月、アルツハイマー型認知症により成年後見相当と診断された。その後、長女が亡Aの任意後見人として平成29年3月、本件訴えを起こしたが、令和3年7月Aが死亡し、長女が訴訟上の地位を承継した。

 だが、「念書」は無効である、という今回の最高裁の判決は、最高裁判断としては考えられないほど、法学的に見て稚拙にして誤った判断に満ちている。法学を多少かじっている評者として、その誤りを見過ごすことはできないので、ここに指摘し、今後の対策について言及していく。宗教=信仰を完全否定している
 
 判決文には、宗教ないし信仰について次のように言及したところがある。
 
 (亡Aは)被上告人家庭連合の心理的な影響の下にあった。そうすると、亡Aは、被上告人家庭連合からの提案の利害得失を踏まえてその当否を冷静に判断することが困難な状態にあったというべきである。
 
 何らかの宗教を信仰する者は、それが特定の宗派宗教教団の主宰する宗教の信仰である場合、その宗派宗教教団の心理的影響下にあると考えるのは蓋然的に言
ってよいことだ。

 だが、その影響下にあることによって、その宗派宗教教団からの「提案の利害得失を踏まえてその当否を冷静に判断することが困難な状態にあった」とはどういうことか。こんなことを認めてしまえば、全ての宗教、全ての信仰は、「当否を冷静に判断することが困難な状態にある」ということになるではないか。これは全ての宗教、全ての信仰を否定したということになるではないか。
 
 最高裁にあって、このような浅薄な宗教観、信仰観が表明されるとはどういうことか。このような宗教観、信仰観しか表明できない判事が最高裁判事になっているとは、最高裁の人事にも問題があるのではないか。

◆ 念書=合意書の効力を全否定している
 
 亡Aの認めた念書には、判決にもあるように、欺罔、強迫又は公序良俗違反を理由とする不当利得返還請求や不法行為に基づく損害賠償等を、裁判上及び裁判外において行わないと記載してあったようだ。とすれば、文言で見る限り、この念書には最初から法的効力がないといえるところもあるようだ。というのは、欺罔、強迫及び摘発すべきほどに公序良俗に違反して作成された念書=合意書はそれ自体が本来、無効であるからだ。
 
 しかし、欺罔、強迫、そして摘発すべきほどに公序良俗に違反して作成されたものでないことは、この念書=合意書が作成された時点で、献金について返金を求める意思がないことを表明したビデオが撮影されていることからも十分に認められる。
 
 一般的に考えれば、この念書=合意書の効力を否定できるのは、欺罔、強迫、そして摘発できるほどの公序良俗違反ということになるが、欺罔、強迫がないことがはっきりすれば、あとは摘発すべきほどに公序良俗に違反することがあるか、ということになる・・・《続く》

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